村上春樹はノーベル賞を受賞できずに、やれやれ、と言ったのか。

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兵庫)村上春樹さん、ノーベル賞受賞ならず:朝日新聞デジタル

 

 秋の風物詩と化しつつある、村上春樹ノーベル文学賞「非」受賞ですが、実際のところ村上さん本人は、また駄目だったか、やれやれ、と毎年がっかりしているのでしょうか。

『「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』という(既に絶版になっている)ムックでファンの質問に対して彼が答えているので、紹介してみます。

 

 まず、村上春樹カフカ賞受賞を踏まえ、ノーベル賞も取れたらすごいですね、という23歳の校正者の方の質問に対し、以下のように答えています。

 

 ノーベル賞なんかもらうと、脳が減るのでごめんですね。とか馬鹿なことを言っているうちに、世間がとことん愛想をつかしてくれないものだろうか。

 それはそうと、昔「ノーベル賞飴」という飴がありました。今はないでしょうね。とくにおいしいものではなかったように記憶しておりますが。

 

 どうもかなりノーベル賞に興味がないようですね。あるいは興味がないふりをしているだけなのでしょうか。ちなみにノーベル賞飴とは、以下のような飴みたいです。 

 


メトロ - ポケットの中には・・・

 

 

 続いて、新聞やネット上でノーベル賞の期待が高まっている中、もれるものならもらっちゃいたいという感じなのか、という「鹿バスは行く」さんの質問には、以下のように答えています。

 

 何度も繰り返すようですが、作家にとって(そしてまたおそらく読者にとっても)いちばん大事なのは作品そのものであって、文学賞というのは「あとからついてくる現象」に過ぎません。たしかに賞をとるとらないは世間的には目立ちやすい派手な出来事ですし、メディアはとびつきますが、実質的にはそんなに意味のあるものではないだろうと僕は考えています。

 もちろん新人賞みたいに、無名の作家が賞をもらって、それで世間の認知を得るということであれば、それは大きな意味があると思いますが、そうでなければ、それはただの「名誉」みたいなものです。ブリキの勲章と同じことです。

「かたちのあるものよりは、かたちのないものをより大事にしたい」というのが僕の正直な、そして一貫した意見です。外から与えられるものよりは、内から生まれてくるものの方を大事にしたい。作家と読者との間に生まれる信頼関係というのは、賞とか数字とかで評価できるものではありません。僕の言っていることは、正論に過ぎるでしょうか?

 わかっていただきたいのは、僕にとって大事なのは、自分のペースをしっかりまもって、少しでも長く小説を書き続けることです。そして少しでもより深い作品を書くことです。それ以外のことは、正直なところ、あまり僕の関心をひかないのです。ほんとうに。

 

 どうも本当に興味がないみたいですね。このやり取りは2006年のものですが、恐らく今も同じ思いなのでしょう。こうなるとあまり興味がない人がノーベル賞を受賞したときにどんなスピーチをするのか、なんて興味もわいてきたりして。