村のバスにだれを乗せるのか

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 ジェームス・コリンズはその著書『ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則』において、以下のようにバスの例を用いて、企業は「なにをするか」よりも、「だれとするか」が重要であるという旨を述べています。

 

 偉大な企業への飛躍をもたらした経営者は、まずはじめにバスの目的地を決め、つぎに目的地までの旅をともにする人びとをバスに乗せる方法をとったわけではない。まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、その後にどこに向かうべきかを決めている。

 

 

 その理由として、環境の変化に対応しやすくなる、動機づけの問題や管理の問題がほぼなくなる、不適切な人たちばかりであれば偉大な企業に慣れない、の3つが挙げられています。なるほど確かにそうかも、と思うわけですが、これは必ずしも企業だけに限った話ではないのでは、とも思うのです。

 前回のエントリで触れた、過疎問題に取り組んで結果を出している徳島県神山町と石川県羽咋市の神子原(みこはら)地区、奇しくもこの両地区では、過疎からの脱却を目指す中で、「誰をバスに乗れるか」を重視しています。

 移住者の受け入れ活動はどのような過疎の自治体でもやっているとおもうのですが、基本的にどこも、誰でもいいから来て! というところが多いのではないかと思います。しかし神山町では、「逆指名制度」を取っており、町側が移住者を選んでいるのです。

 グリーンバレーというNPOが運営する、神山町の移住交流支援センターの運営方針には、「定住希望者や若年者、起業家などへの案内を優先させる」とあり、町側から来てほしい人を明確にしています。これは大南理事長の、

移住者は地域に花嫁を迎え入れるのと同じこと。そのお嫁さんを抽選で決める人はどこにもいない。それに、移住者を受け入れれば地域にもストレスがかかる。だからこそ、地域が納得する人を迎え入れるべきではないか。(篠原匡『神山プロジェクト』より)

 

――という主張からきている方針とのことです。バスを満席にすることを急いでも、長期的な地域の発展にはつながらないというのは、言われてみれば確かにそういう気がします。

 一方の神子原のほうでも、面接に合格しないと移住できない、という制度があります。これは元々予算がない中で移住者を増やすために、あえて狭き門であるかのような形にすることで応募者を集めるという、なかば「ハッタリ」のようなものであったとのことなのですが、結果応募者が殺到し、また選ばれた人たちの定着率も高くなったいう結果をうみだしています。

 

 このように、「誰をバスに乗せるか」というのは、さまざまな組織に応用できる話なのではないでしょうか。こんど神山町でそこらへんについても聞いて来れればと思っています。